ヒトとして暮らすこと

いろいろな暮らし。いろいろな考え。農村生活と都市生活の二重生活を送りたがるわたしの記録。現在韓国ワーホリ中にて、あちらこちらの情報のお届けもします。

ソウルでの1カ月

3週間江原道でウーフーすることになった。

ソウルでできた友達がもっと長い別れかのように、たくさんの応援の言葉と共に私を見送ってくれた。

友達もいなくて毎日さみしいし苦しい、と言っていた時が嘘のように、段々と友達や信頼できる人がソウルに出来たことを強く感じた。

次にソウルに戻るときはさみしくないだろうと思う。

 

ソウルに待っていてくれる人がいる。

 

その事実がとてつもなく大きな支えに、韓国で生きていく力になっている。

 

韓国に来て1カ月。

 

やる気がなくて、ろくに食べず、カフェの窓から通り行く人々をさみしく見ていた日。

苦しい気持ちを文章にしてしか吐き出すことが出来ない孤独の日々。

知っている人のいない土地で暮らすことがどんなに孤独で、大変なことなのかを感じた1カ月だった。

 

暇ならおいでよ、と誘われて潜り込んだ友達のサークルの飲み会で、久しぶりに同年代と話した日。

ご飯を食べ、お酒を飲み、自分について語り、相手について知った、不自然で気恥ずかしい日。

気が付けば、今日暇?今日ビール?と連絡しては、会って、食べて、しゃべって、飲んで、何を話したか思い出せないけど楽しい日々。

何回も行きたくなるカフェと出会って、行くたびに仲良くなったカフェお姉さんとわんちゃんに癒される日。

「好き!」と思い、「好き!」と思ってくれる人たちと出会えた素晴らしい1カ月だった。

 

あの日、誘われても行かなければ出会いのタイミングが変わって、仲良くなってないかもしれない人、そもそも出会うことのなかったかもしれない人。

わたしの選択と相手の選択が、偶然の運命を作り出したのかしら。

ソウルの生活が嫌になって飛び出したのに、友達の近くでふざけて遊んで毎日を暮らしたいような気持ちもあるんだ。

 

あまのじゃく。

自分の選択によって失うものがあると分かっていても、ひとつも捨てたくない。

全部好きなんだもん。