韓国のワーホリを終えて思うこと
2020年3月、ぴったり1年で私のワーホリが終わった。
ワーホリ開始2ヶ月でうっかり運命と出会ってしまったので、とてもイージーに過ごしてしまった感は否めない…。
ソウルで苦労した1ヶ月、
WWOOFで清々しく暮らした1ヶ月、
あれよあれよとホストが彼氏となり、どっぷり田舎暮らしをした10ヶ月、
そんな12ヶ月でしたが、
やはり始めにソウルで苦労したことがその後の見事な逆転劇へと続いたのだと思います。
ソウルの窓なし激せまコシウォンから、
一泊1000円の8人部屋ゲストハウスへ、
貯金20万のみを持って、貧困の底辺を見た。
からのご飯付き、キャンプ場付き、犬付き、彼氏付きの一軒家が我が家という流れは、我ながら恐ろしい出世です。(住み込みで働いたといえど)
選択が積み重なって偶然出会った人と場所。
けれどその偶然を運命と変えて、
私のこれからの人生の節目となったのだから、
人生何があるか本当にわからないなと思う。
日本帰国後、準備が終わればまた渡韓するつもりが
コロナによって道を閉ざされてしまったことは悲しいけれど
これも私の次の選択へ繋がるピースであるだろうと思い込みを深めて、
実家でハーブや東洋医学の基礎などを勉強し始めた。
やりたいと思いつつ先伸ばしにしていた勉強。
自分と周りの人たちを守る方法を身に付けるための第一歩が、このタイミングで始まったことで今が無意味な時間ではなくなってきていると感じる。
むしろ今は、自分にとって有益な時間であると思える。
1年間の韓国はいって本当によかったから、
もし今悩んでる人がいるなら思いきってほしいと思います。
逃げていると言われたって、それの何が悪いの?くらい開き直って好きなことをして。
自分にいいエネルギーが満ちているときは、周りもいいエネルギーを持った人たちが集まってくることを実感したから。
誰になんか言われたってどう思われたって、反撃できるプラス思考で好きなようにやっちゃえ。
ワーホリで辛いことも大変だったこともなかった訳じゃないけど、本当にいくと選択した自分を褒め称えたいくらいのいい1年だった。
と、思い出はすべて美化して終わりにしたい。
韓国の田舎における犬とは
わたしが韓国で居場所にした、江原道のとある田舎町。
結婚を考える相手と出会い、その人の家に住み込んだ。
そんなのは前置きで、家には犬がいる。
5月末に飼っていた大型犬2匹の子どもが6匹生まれた。
その2匹は家より大きな面積の大きな檻の中で自由に生きている。
から知らなかった。妊娠も出産も、、、。という言い訳を挟む。
ある朝、お兄さんがご飯をあげに檻の中に入ったら(ごはんも一回に数日分あげる方式)、犬の赤ちゃんがいた。
多分、生まれて1日か2日経っていた。1匹は死んでいた。
この家でこうやって犬が出産するのは4回目くらいだから、子犬が死んでしまうのも、その子犬たちの行き先を見つけるのも慣れている、とお兄さんは言った。
初めて子犬を見たわたしにはその子たちが可愛くてしかたなかった。
毎日檻に行っては、動くのをただ見て、お母さん犬が乳をあげるのを手伝って(邪魔していた可能性もある)、ダニを取ってあげて、ちょっとした成長に感動して、毎日幸せだった。
この5匹が大きくなってもこうやってかわいがって育てたいと思いつつも、それは現実味のない話だから、行き先が見つかるまで、と思ってた。
だけど少しずつ大きくなってきて、本格的にさてこの5匹をどうしよう、となったとき、犬が日本やソウルなどの都会の人が考える存在とまるで違うことを知った。
韓国の田舎において犬の役割は大きく2つある。
ご飯の残りを食べることと、家を守ること。
そして人によってはもうひとつ。
家畜、つまり、大きくなれば絞めて食べる動物。
韓国には犬の農場というか、養犬場がある。わたしの住む地域では幸い見ることはないが、場所によってはポシンタン(犬鍋)屋さんの看板も見られる。
お兄さんは元々ソウルの人で犬を好きな人だから、犬に対する考え方はわたしと似ている。ドックフードをあげるし、犬の肉は決して食べない。
けれど、これまで生まれた犬のうち、数匹は犬を食べる人の家に送ったと教えてくれた。
最初はお兄さんも知らずに送り、後に知っても、生まれた犬を送ることがあったという。仕方がないことだと言った。彼も苦しんだ過去があった。
犬を食べることは文化であり、我々がかわいいと言いながら豚や牛や鶏、その他多くの動物を食べることと何が違うのだろう。
と頭で理解しても、こんなにかわいくて、愛おしいこの子達を食べる人に送ることは、私の心が許せない。
でもさ、じゃあ、わたしがおいしいと食べる肉は、誰かにとってそんな存在ではなかったのかな。
だからって犬を叩いてから殺したらもっと肉がおいしくなる、と言って嘆いている犬を叩く人のところに送るの?
何度も泣いて、お兄さんと争って、犬をかわいがって、また泣いて。
どんなに考えても私の答えはまだ出ていない。
だから、どうにかして、この犬たちを飼えないか、あるいはかわいがって育ててくれる人の家に送れないか、それを考えることにした。
5匹のうち、2匹は無事に犬を食べない人のところへ行った。
地域の人にお兄さんが幾度か声をかけたけれど、今回は食べる人たちも含めて引き取ってくれるところが見つからない。
残りの3匹。
1匹はうちで飼うことができるとお兄さんは言う。
そしたら残り2匹。
韓国の田舎では普通とされる食料としての犬。
これを拒否はしないけれど、うちの犬と考えると話が違うんだよ。
どうしようもなく心が苦しめられる、犬の問題。
最後に、こんな話をしたのは私ですが、犬を食べるから、という理由から韓国人(特に田舎の韓国)対する不快感を持たないでほしい、とお願いをしておきます。動物を育てて、美味しく食べること、それはヒトとして当然の歴史で、文化です。
犬を食べることに不快感を覚えるなら、現在の養豚、養牛、養鶏のシステム化により我々がどのように育った「肉」を食べているのか、それを知ることから始めてください。
そして後に食べられるとしても、大事に育てている農家がいることを知ってください。
動物は私が食べる肉である。
それを知りつつも、かわいがってしまったが故に、この肉だけは食べたくない、食べられたくない、そんな理論を訴えてしまう自分をまだ甘いんだろうなと思う。
今日もわたしは肉を食べる。
動物を、魚を、野菜を、命をいただきます。
それ忘れないようにするしかできない。無力。
マウルコミュニティ
江原道、ホンチョンの小さなマウル(村)で暮らし始めて、早3週間。
小さなマウルの住民コミュニティは、やはり大きくない。
ウーフーのホストであるお兄さんは、車ですれ違う車が誰のものかわかるし、仲の良い人ならすれ違いざまに止まって、窓越しに話してたりする。
そんなマウルに日本人女子(見た目は韓国人女子)が来たもんだから、すれ違えば、おや?誰だ?という視線。
日本の田舎でも経験した、外から来た人へ向けられる住民からの視線。その視線が向けられると緊張する。
だけど、日本人で短期間の農業体験に来てます、と挨拶すれば、笑顔に変わり、結構するっと受け入れられてもらえた。
若い女子だからそうなのか、
ホストのお兄さんがこの地域で信頼されてるから、その人の家にいる人も受け入れられやすいのか、
と思ったのだけど、案外わたしの第一印象がいいからかもしれない(なんておこがましいかしら)。
このマウルで会ったおじさんから、
車ですれ違った時に、笑顔で挨拶してくれたでしょ。第一印象がよかったよ〜!
と後日教えてもらった。
笑顔で挨拶したことをわたしは覚えていなかった。
、、、てへ。
でもおじさんは、その笑顔でオールオッケーだったらしい。
どこでどんな人と会っても言えることだけれど、はじめましての第一印象がどれだけいいのかは、その後会う時にも関係する。
だから、笑顔で挨拶する習慣が染み付いちゃってるわたしみたいなハッピー人間は得をしている。
ソウルに戻ったらすれ違う人に挨拶なんてしない。
出会おうと思って出会った人にだけ挨拶。
それが当たり前だけど、考えるとちょっぴりさみしい。
だからって全員に挨拶してたら一歩も進めんよ。
都会の方が出会いのチャンスが多いというけれど、この3週間でわたしはソウルに1ヶ月いたのと同じくらいの人に出会ったよ。
田舎の場合は年齢高いし、望まなくても出会うし、会える人数にも限りがあるのは確かだけど、おじさんたちと気軽に話して笑えるのは田舎ならではな感じがしてる。
若さと女子であることをフル活用して、今の間にたくさんの田舎で人々と出会おうと思った。
お気に入りのカフェ
お気に入りのカフェができた。
大きなドーベルマンのいるカフェ。
友達とふらーと歩いていたとき、カフェのドアが開いて、ドーベルマンが顔をのぞかせた。
は!犬!ドーベルマン!
友達の飼ってた犬種でちょうど犬さわりてぇーって言っていたから、こりゃたまらん、と吸い込まれてしまった。
そんな出会いをしたカフェ。
コーヒーはフィルター系という、韓国らしくないラインナップ。だけど日本人のわたしにとっては親しいコーヒー。
(韓国のカフェって、だいたいエスプレッソ系おおい)
お店のお姉さんは優しくて、2回目に癒されに行った時、話し相手をしてくれるのみならず、名刺とともに、飲み物飲まなくてもいいから遊びにおいでと言ってくれた。
それから定期的に行きたい場所になった。
知り合いのいない街で、ふとしたきっかけで出会ったカフェのお姉さん、そしてわん。
こうやってこの街に知り合いができることで、ソウルのわたしができてゆく。
わたしはわたしというけれど、周りの人たちとの関わりの中でわたしは形成されているのも確かだと思ってる。
今日のわたしは、わんちゃんにおやつをあげて、コートの袖をよだれで汚された。けど、喜んでる(変態)。
今日のわたしを作ってくれる誰ががいることに喜びを感じた。
2019.03.25
ソウルでの1カ月
3週間江原道でウーフーすることになった。
ソウルでできた友達がもっと長い別れかのように、たくさんの応援の言葉と共に私を見送ってくれた。
友達もいなくて毎日さみしいし苦しい、と言っていた時が嘘のように、段々と友達や信頼できる人がソウルに出来たことを強く感じた。
次にソウルに戻るときはさみしくないだろうと思う。
ソウルに待っていてくれる人がいる。
その事実がとてつもなく大きな支えに、韓国で生きていく力になっている。
韓国に来て1カ月。
やる気がなくて、ろくに食べず、カフェの窓から通り行く人々をさみしく見ていた日。
苦しい気持ちを文章にしてしか吐き出すことが出来ない孤独の日々。
知っている人のいない土地で暮らすことがどんなに孤独で、大変なことなのかを感じた1カ月だった。
暇ならおいでよ、と誘われて潜り込んだ友達のサークルの飲み会で、久しぶりに同年代と話した日。
ご飯を食べ、お酒を飲み、自分について語り、相手について知った、不自然で気恥ずかしい日。
気が付けば、今日暇?今日ビール?と連絡しては、会って、食べて、しゃべって、飲んで、何を話したか思い出せないけど楽しい日々。
何回も行きたくなるカフェと出会って、行くたびに仲良くなったカフェお姉さんとわんちゃんに癒される日。
「好き!」と思い、「好き!」と思ってくれる人たちと出会えた素晴らしい1カ月だった。
あの日、誘われても行かなければ出会いのタイミングが変わって、仲良くなってないかもしれない人、そもそも出会うことのなかったかもしれない人。
わたしの選択と相手の選択が、偶然の運命を作り出したのかしら。
ソウルの生活が嫌になって飛び出したのに、友達の近くでふざけて遊んで毎日を暮らしたいような気持ちもあるんだ。
あまのじゃく。
自分の選択によって失うものがあると分かっていても、ひとつも捨てたくない。
全部好きなんだもん。
持っているというカテゴライズ
毎日、暇である。バイトをやめたら、ウーフーに出て農村をめぐる旅をしようと思っているのだけど、なかなかバイトはやめられなそうだし、私の好きなように生きるといっても多少の責任を無視することは出来ないのだなぁと思う。
今後の生活を考えたら、全くもって贅沢をすることは出来ない。だけども、ソウルにいる限り私はお金を使う生活から抜けられないので、都会で生きていくのは大変だぁと思っているところだ。田舎にいればお金を使わないから!と思っているけれど、ウーフーではなく普通に暮らそうとしたら、田舎にいたってお金の流失は避けられない。
では、どう生きていけばいいのだろうか。
ドネーションで相手の気持ちでお金を得ながら商売している(それを商売と呼ぶのかはさだかではないが)人たちもいる。
どんな仕組みになってるのかわからないが、無料や利益なしで提供している人たちもいる(こういう人たちは副業で結構稼いでたりはする)。
わたしが何かをしようとした時、株があるわけでもなきゃ、元々土地を持っているわけでもないので、お金を受け取らなければその事業を続けることは難しい。ついでに今の貯金は20万くらいで、この先韓国で定期的に稼ぐ予定はないので、東京に帰って仕事を始めるまでは減っていく一方だ。暮らしが危うい。
これが、持っている人と持たざる人の違いか…。と持っている人をついうらやんでしまうところだが、意外と私もお金以外は持っている人なんじゃないかと最近気が付いた。
東京に実家がある、韓国語が話せる、なぜか優しい人、頼れる人たちがそばに来てくれる(これが一番うれしい)、などなどなど
自分のことを持ってない人だとカテゴライズしてしまったとき、自分は本当に持っていない人になってしまう。しかし、自分が持っている人だときちんと気づいたとき、自分がある点では幸福だと気づく。その気づきがあったとき、私はもっと毎日の幸せを感じることができるようになった。
なぜ人は他人をうらやんでしまうのだろう。
他人の持つ何かを自分も持ちたいと思ってしまうのだろう。
他と比べることでしか自分の不幸も幸福も計れないのならば、それは未熟な人間ではないだろうか。自分の中にある幸せにきちんと気づけるのならば、たとえ子どもだろうと、大人だろうと、豊かな人間であるように思う。
まぁ、そんなことを言っているわたしはまだ比べることをやめられていない。他の人のものをうらやむ段階から抜け出して、自分の物差しを作っていこうと思います。
ビールと友達
耐えてるけど、まだ耐えられるけど、結構辛い。
ふとした瞬間に、私が悪いんだ、と思って心が苦しくなる。
そんな心を抱えたまま笑顔で働くことは、結構大変だったりする。自分が悪いの、あなたは悪くないからっていう体裁で相手と話をするのも結構心にくる。
そんな時に、公園と動物園に来た。まだ寒くて、緑は少ないけれど、少し花が咲き始めた3月終わりのソウル。泣いたせいで頭痛がしていた。頭痛と自分の責任を感じながら歩いた。
動物たちは狭い狭い檻の中でそこで生きていた。わたしは、どうして、こんな広い世界に出てきてしまったの?狭い世界の中にいたらこんな苦しさを感じなくてよかったのに。君たちがうらやましくもあるよ。なんて、思ったりした。
辛い時に、辛いと言えない性格だ。
だけど辛抱強いってわけでもない。
だから、苦しくなるとどんどん死に近付いていく気がするときもある。死に引き寄せられる。
そんなタイミングで、新しく友達になった子から、今日の夜ビール飲もうよ、と連絡がはいった。
その電話をしながら笑顔になって、話してる自分がいた。友達、それはとてもいいものだと思う。
まだ友達になりたての友達だろうと、自分がひとりでいたら死んじゃいそうな日に横にいてくれる人がいる、それはとてもあたたかい。それだけで、その友達にわたしは感謝して、こっそり愛を送るんだ。
広い世界に出たから感じる苦しさ、広い世界に出たから出会えた人たち、いいところだけ得る、なんてないのね。世の中は平等だ。
韓国の銀行で口座開設
韓国ワーホリ情報として、銀行口座開設についてまとめてみます。
銀行の口座を開設すると、チェックカード と呼ばれるデビットカード的なものが発行できると聞き、楽!安心!と口座開設に行きました。
結果的に、私は新韓銀行とウリ銀行の2つの銀行で開設しました。
(2019年3月の情報です。韓国あるあるで、銀行によって対応が異なるので、一例としてご紹介します。)
結論、パスポートだけでどちらも作れましたが、、、
先に新韓銀行で口座開設。
外国人もすぐ口座は作れるけれど、一日30万ウォンまでという引出額の制限があるもの。問題は、チェックカードどころかキャッシュカード の発行が外国人登録証発行から3ヶ月後に可能と言われて即日作れなかったこと、、、。
ATMが使えず、お金の出し入れも銀行窓口でしかできません。
ネットで調べた時、作れなかった、もしくは作れた、しか見なかったのでそんなことがあるのかと衝撃。
とりあえず、ないよりあった方がいいので作りました。
それから数日後、他の銀行でも試しに作ってみようかと思い立ち、ウリ銀行へ。
はじめに行ったウリ銀行の支店では、
「なぜ作るの?」
「バイトの給料受け取りで必要なので」
「それならバイトの契約書を持って来てもらわないと作れません」
「………알겠습니다~~」
と退散しました。
銀行員によって対応が変わると噂の韓国なので、試しに別の支店へ。
案の定、ふつうに作れました。チェックカード もその場で発行してくれました。(さすが韓国)
チェックカード があることで、支払いがぐっと楽になります。
日本のクレジットカードは持っていましたが、カードのレートを見てみるとだいぶ損していたので、使うのが躊躇われたんです。
日本円の現金を明洞辺りのレートのいいところで替えて、それを口座に入れる。チェックカードで支払いすれば、レートの損は最小限!
チェックカードでの支払いもすべて通帳に記帳され、なおかつ、ほとんどのお店は名前が表示されるので、家計簿をつけずともどこでいくら使ったが分かる!
Tmoneyカードとしても使えるため、冗談ぬきでこれ一枚あれば出かけられます。
ちなみに、口座開設の方法は日本と変わりありません。
番号札を取って、呼ばれたら窓口に行って、パスポートを見せながら口座を作りたいと伝えると、あちらが外国人とわかってやってくれます。
番号札を発行する機械のパネルには、受付区分が2つか3つあったけれど、わたしは韓国語で銀行用語なんて知らなかったのでさっぱりわからない。まぁ、窓口に行って外国人だと伝えればわかってくれるだろうと、唯一読めた出入金的な受付で番号札を発行しました。実際それで問題なかったです(合ってたのかはわかりません笑)。
私の場合は韓国語で進めましたが、基本的に銀行員さんが指定するところにサインし続けるだけで作ってくれます。あまりにも言っていることや、書類の意味がわからなくて不安なときだけスマホで訳していました。せっかちの韓国人も、外国人が相手なのでさすがにそのくらいは待ってくれますよ(きっと)。
ワーホリ、留学で韓国に滞在する人は、作ることになる銀行口座。
一箇所目でダメでも、他のところへ行って聞いてみることを激しくおすすめします!!
食欲とは
考えてみたら、毎日ひとりでご飯を食べる生活はしたことがなかった。
1日のうち、一回は誰かと食べていた気がする。
実家も、ファームも、朝、昼、夜、誰とも食事を共にしないまま1日が終わることはなかったから、今、ソウルに来て、そんな日が続くとわたしって食欲なくなるんだ、という発見があった。
わたしは食べることが好きな人間だと思っていたけど、実は誰かと食べるときに話すことが好きだったみたい。
食べてるとき、
これおいしい!お肉すき!っていう食べ物の話だけじゃなくて、
今日こんなことがあってね、
とか
今度どっかいこうよ、
とか
そういう会話がある。
テレビ見ながら食べてたって、芸能人の話になったり、なにかしらは話すでしょ?
だけどひとりで食べてると、心の中でだけで、これおいしいなぁだとか、このあとどこいこうかなぁとか、なんならなにも考えないでとりあえず食べてたりする。
食べなきゃ人間死んじゃうぞ、と言われますが、ひとりで食べ続けてたらわたしの心死んじゃうぞ?
という理由で最近は1日の食事をできるだけまとめて食べている。なんなら友達といるときに栄養摂取をしておいて、ひとりのときにあんま食べなくても平気なようにしておく。
しかし定期的にお腹は空くんだな。
ヒトもただの生き物だなやはり。
わたしってそうとうな寂しがりやなのかしら?
でも、そういうの平気って言う人も、意外と初めは今のわたしのように食べてたのかしら?
大人になるにつれて、できることが増えるけれど、別にひとりで食べられる大人になりたかないな、と思う日。
いちにちいちコーヒー
ソウルで貧困生活を送りながらも、毎日一回カフェに行くことは自分で許している。
狭いコシテルだったり、ゲストハウスのドミトリーで暮らしてるから、できるだけ窓の大きい開放的なカフェに好んで行っている。
毎日一杯、大体4000ウォン前後の出費。
その出費は心の安定になっているから必要な出費である(と考えることにした)。
しかし、そのお金があればちゃんとした食べ物が食べられたりもする。
そう思いながらもカフェに行くので、カフェ選びは慎重である。
癒されたい日は、インスタで見つけたおしゃれなカフェとか、歩いてて見つけたステキなカフェ。
ぼーっと長時間居座りたいときや、パソコンを使いたいときは、チェーン店の大きな店へ行く。
(もちろんどちらも窓の大きなところが前提)
お金がないからこその慎重なチョイス。
その日選ばれたカフェで、コーヒーを飲むとき、それは至福である。
小さなカフェだと、お店の人が話しかけてくれたりもする。
日本人って言うと韓国語上手ですねって言ってくれる人が多いので、でへでへ出来るプラスアルファのご褒美の時間。
現状、友達も少なく、やることもない、ひまな日々に癒しをくれているコーヒーの時間。
毎日カフェ?これこそ都会暮らしっぽいじゃないか!と、ちょっと喜ぶ単純なわたし。
韓国ワーホリ なにをしよう?
3月の頭にソウルに来ました。
とてもよく聞かれること、
なんで韓国に来たの?
何しに韓国に来たの?
わたしの答え
–ただ韓国で暮らすことが夢でした。韓国の田舎暮らしも知りたくて。
私は中学生の時にK-POPが好きになって、というよくある動機で韓国語を勉強し始めました。今のレベルは日常会話に困らないくらい。
今は単に韓国語が好き、という理由で勉強を続けています。
そんなずっと好きな韓国語をもっと話せるようになりたくて、韓国にやって来ました。
そして、人生で一回くらい都市の真ん中に住んでみようと思い、明洞や仁寺洞などに近い中心エリアのコシテルに住み始めました。
到着して1週間で、友人の紹介でバイトを始め(日本料理屋さん)、コシテルに住み始めました。
住んでみたら、息苦しくて。
外に出れば人がたくさんいて、1日に何人ともすれ違うけれど、誰も知らない。
コシテルは割とキレイ、シャワートイレありの部屋だけど、狭く、窓がなく、排水の匂いが部屋にこもる。換気もできなきゃ朝日も浴びれない。1ヶ月35万ウォン。安いけど、、、。
去年、ファーム暮らしで自然のリズムに沿った暮らしをしていた私には、ソウルの暮らしがとても苦しい。心の平穏がどこにいてもやってこない。
来月には田舎へ行く。
そう決意を固める今日この頃。
田舎へ行き、韓国の有機農を知る。
それもわたしのワーホリの目標のひとつだから。
ソウルの人はみんな、韓国で有機農なんてあるの?と言います。韓国のオーガニックはまだその程度のようです。
ツテがあるわけでもないので、WWOOF KOREAに登録して、そこから行き先を決めることにしました。
年会費5万ウォン。ホストファミリーとウーファー(WWOOFする人)の間では金銭やりとりなし。仕事を手伝う代わりに、宿と食事を提供してもらう、というシステム。日本も含めて、世界的な制度で、その国のWWOOFに登録は必要ですが、そのあとは自分の行きたい農家を探すだけ。
3月終わりのソウルはまだまだ冬の天気です。
ソウルより暖かい地域にいこうかしら。
韓国とわたし
2017.9
江戸時代に国同士がせっせと頑張って作り上げた友好関係。
それをやめたおおよそ100年前。
今や命もかけず誰でも数時間で行ける国。
歴史は常に繰り返す。
わたしの生きる今は友好的であってほしい。
わたしはこれからも韓国が日常に存在してる予定だし、たぶん死ぬまでともだちだと思う。
何が好きなのとよく聞かれるけど、それはよくわかりません。
ともだちってそういうものだよね。
農的な暮らしを知ったとき
大学まで東京でしか暮らしたことのない私。
大学卒業後の進路を考えたとき、東京を出ようと決めた。
就職して、オフィスに勤めると思ったとき、なぜかわからないけどゾッとして、就活ができなかったから。
周りの先輩も、同級生も就活、就職をするのが当たり前と考えていることに、とても違和感を覚えていた。
就活なんてしない、と社会への反抗精神で始めた模索。
3年生の冬、WWOOFの存在を知り、すぐ登録。はじめてのWWOOFは、3月。まさに就活解禁という時に、都会にいたくなくて、田舎へ逃げることにしました。
はじめての農家生活は、山梨県のオーガニックファーム。後に自分が住むことになる場所。
その経験で得た感情が、今のわたしがある原点。
2017.03
この10日間、
にわとりのやかましい(たまに笑える)鳴き声によって朝目覚めたり、
野菜と米ばっか食べたり、
泥ついたり、
手が荒れまくったり、
あんまり好きじゃないようなことの積み重ねにあると思っていたけど、どうしても経験してみたかった生活を体験して思ったことは、
「暮らしている」という実感でした。
わたしたちに幸せをくれるものは生き物なんだ。
というようなことをムヒカさんが言ってたけど、
植物も動物も人間も含めたすべての生き物が私を幸せにするんだなぁと思いました。
見た目は悪いけどおいしい野菜。傷んでてもそこをとればおいしい野菜。どう食べてもおいしい野菜。
たまーに取れるこっこのたまご。
それらを世話する人間。
ときたまスーパー。
そうやってできたものを使って作った(楽しい人たちとの!)ごはん。
人間の出来ることって大したことなくて、他の生き物との支え合いで生きてるんだね、って。
小さな嫌いが合わさったはずなのに楽しい暮らしになってたね、って。